架空空間に引きずり込むブログ

ただ一人の大切な友のために書くブログです。離れていてもソウルは一つ!

「シン・仮面ライダーを管理人が語ります」まえがき

<まえがき>

 以前の記事でも書いたけれど、かつて私は庵野秀明が嫌いだった。正確には一大ムーブメントを起こしたエヴァンゲリオンブームのファンの風潮が嫌いだったので、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって寸法だったのだ。そこかしこに散りばめられた特撮オマージュの部分を、ちょっと聞き齧ったくらいで偉そうに語る俄ファンが、特撮マニアとして許せなかった。まぁ、今にして思えば「自分の確かな意見も持たず、ネットの記事や情報を読んで解った気になって上から目線で物事を評価する」、今では珍しくも何ともない連中の萌芽だったのかもしれないけれど。で、ここまでの文章でお気づきの通り、別に庵野秀明を悪く言うのは筋違いじゃないかと思ったあなた、その通り。私は庵野秀明という人となりを知らなかっただけだったのだ。

 しかし、私は「館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」というイベントに行き、東宝の倉庫から処分される筈だった数々のアイテムを庵野秀明が救って管理している話(ん?怪獣倉庫から貴重な資料を救った京本政樹の話と似ているな)とか、短編映画「巨人兵、東京に現る」が匠の技だったとか(良い意味で笑って感動できたけど)、そんなので改心しまして・・・などと、言うとでも思ったか!?

 私が(すみません、暫くマニアのやっかみ混じりの何様のつもりだ的な文章が続きますがご了承ください)庵野秀明を見直した、というか私の過去の想いが誤解だったと反省させられたのは、そのイベントの出口近くに飾られていた庵野秀明秘蔵コレクションみたいな、庵野の私物の玩具の数々。その中に、東映スパイダーマンの宇宙戦艦マーベラーが変形する巨大ロボ「レオパルドン」が複数台置かれているのに私は気付いたのだ。綺羅星の如く、ウルトラシリーズ東宝怪獣のアイテムが数多(あまた)ある中、敢えて鎮座するその雄姿を確認して、私は総てを悟った。勝手に心の中で一方的に握手のため手を差し出したくらいである。その後、庵野がとあるインタビューの中で「マーベラーの発進シーンには特撮として最高にカッコイイ瞬間がある」と語っていたのを知ったことで、私は今までの非礼を詫びることになったのである。間違い無く、彼の特撮魂は本物であり、私のポリシーに反することなど何も無いのだと・・・。そういう意味では、私は彼に借りがあると言えなくもないのだが。

 そんな中、「シン・ゴジラ」は100点、「シン・ウルトラマン」は78点と評して来た私。え?「シン・ゴジラ」100点の理由ですか?アレは純粋に現代に日本に大怪獣が出現したら、というifの物語が面白かったのと、何より庵野の罠にハマってしまった自分が白旗を上げている、というのが理由です。だってねぇ、あれは罠ですワ。まぁ色々あって、巨災対の作戦が様々進行する中、打楽器のダン!ダン!というエヴァンゲリオンでお馴染みのBGMが掛かって来て「ああ、結局庵野に任せるとこの音楽になっちゃう訳ね~」と評価を一時的に下げさせておいて、ゴジラ鎌倉上陸の瞬間、モノラルの当時の音楽ソースそのままでいきなりゴジラのテーマがグワ~ン!と掛かって来た日には、不意打ちを喰らって滂沱の涙ですよ。如何に、この曲が総てなのかを否応なしに訴求するあの一瞬のために、それまでの映像はあったのではと思わせる破壊力です。もう、あのシーンさえあれば「ゴジラ」です。もう100点で良いと思いました。四の五の言うのは野暮です。で、何故「シン・ウルトラマン」は78点なのか、というのは勿論M78星雲に引っ掛けた数字ではありますが、100点ではない、減点部分があるんです。私の中で。それは、決してエヴァンゲリオン使徒と化したと揶揄されたゼットンのせいではなく(あのぐらいは監督特権だと思っている)、少し女性に対してフェチだ何だと指摘されている件のためでもなく、シンプルに一つだけが理由です。そこにどんな意味があり、どんな意図があろうとも「バルタン星人」を出さなかったのは「逃げ」だと思ったからです。これは個人的な意向です。万人に共感して貰おうとは微塵も思っていませんのでそのつもりで。

 以上のような経緯の上で、今回の「シン・仮面ライダー」です。一介の特撮マニア如きが、一時代を築いた特撮監督(アニメ監督でもありますが、敢えて)を捕まえて庵野秀明と呼び捨てにするのは如何なものかと私自身も思っていますが、文章の勢いを重視して敬称を略させていただきます。それでは、前置きが長くなりましたが次の記事が本文ですのでよろしくお願い致します。ちなみに「ですます調」封印してます。