架空空間に引きずり込むブログ

ただ一人の大切な友のために書くブログです。離れていてもソウルは一つ!

ありがとう。大葉健二(敬称略)。

 喪に服していた。大葉健二(以下、敬称略)の訃報に触れたからだ。私は泣かなかった。あばよ涙、悲しみの重さに俯く夜は、瞳を銀河の彼方に上げるのさと教えられた僕らが泣く訳には行かなかった。

 

  多くの人が同じ想いだったらしい。似たような投稿が公式、非公式問わず溢れていた。いつか来るこの日のために、スーパーヒーロー僕らのギャバンは僕らにメッセージを残してくれていた。そのお陰で僕らは前どころか上を、それどころか明日を見ることが出来た。伝説のヒーローが火を点けてくれた僕らの胸のエンジンは、まだ動いているのだ。

 

  私の昔からの主張の一つに、「ヒーローはその世代のものである」というのがある。どれだけ映像を見て理解しようと、どれだけクリエイターの意図を分析しようと、その作品の主視聴者層として、その時代の視聴者として、同じ刻を生きたヒーローに教えられて成長したその世代の語る想いには叶わない。私はウルトラセブンも愛して止まないが、やはり幼少期に恒点観測員340号に憧れ、彼が守ってくれた地球で育った人達の語りこそ本物だと感じる。自分がどれだけ語ってもどこか偽物というか、胸に迫るものが違う気がするのだ。逆に、私は七星闘神ガイファードも熱く推しているが、どれだけ深掘りしても、「凄く好きで子供の頃見てました」という純粋な憧れには一歩気後れしてしまう。やはり、長じてからその作品を見るという行為では、シンプルにその作品しか見ていないという事実が付いて回る。やはり、そのヒーローの放映時に、その時代の空気を感じ、社会情勢にも触れ、子供から大人への階段を昇った世代にこそ、見える真実はある筈だ。

 

  私は幸せだ。私には、自分の世代を代表するヒーローとして、宇宙刑事ギャバンがいるからだ。私の座右の銘は「若さとは振り向かないこと」である。大学受験の面接でも躊躇わずにそう答えたほどだ。その受験が実を結ぶことはなかったが、先程の回答に悔やんだことはない。それがマイナス評価であったとしても、私は座右の銘を偽る訳には行かなかったのだ。いつでも私は、俺はここだぜ、と光の速さで明日へダッシュしているギャバンの背中を追いかけて来た。だが、私はその背中に追い付くどころか、その背中を目にすることすら出来なかった。光の速さで動いているから当然と言えば当然だが。まぁ、もとより宇宙刑事ギャバンは「背中を見せない男」なので問題はないだろう。

 

  ありがとう。宇宙刑事ギャバン。譬えその名が、普通名詞になった世の中でも、僕らにとってはギャバンの名は固有名詞。凡百のヒーローとは一線を画す、メタルヒーローの先駆者である。メタルヒーローが輝いて見えるのは、決して光を反射しているからではない。その魂が内側から眩しく燃えているからなのだ。その炎は僕らの胸のエンジンに火を点けた。今だって、そのエンジンはフル回転で僕らを支えている。名も無い花を、踏みつけられない男になった僕らは、フルアクセルでオーバーヒートどころかオーバーケンジ状態だ。あばよ昨日、よろしく未来。光の速さではないかも知れないけれど、明日へダッシュするよ。ありがとう、スーパーヒーロー大葉健二。これからも温かい星空のメッセージを僕らに届けてくれるよね…。