架空空間に引きずり込むブログ

ただ一人の大切な友のために書くブログです。離れていてもソウルは一つ!

ゴジラ-1.0見て来ました(本当は初日に)。

※以下は、かつて実写版宇宙戦艦ヤマト山崎貴監督作品)に激怒した50代の一介の特撮マニアが、『ゴジラ-1.0』を見た感想です。もう最初から色眼鏡全開です。まさしくマイナス感情からのスタートですのでご了承下さい。ただし、それを言い訳にするつもりは毛頭ありません。

 

 『ゴジラ−1.0』を見て来ました。かつて同じ監督の実写版宇宙戦艦ヤマトを見て激怒した私が、褒めるはずはないのですが(オイ!)、やはり今回もそれは違うだろ!と憤る決定的なシーンがありました。称えるべき部分が無いと言えば嘘になりますが(宇宙戦艦ヤマトには褒める箇所が一箇所も無かったくらいだが、本作はそれよりは…以下略)、少なくとも私が見たかったゴジラでは無かったと言い切れるでしょう。私は特撮マニアではありますが、ゴジラには一家言無いタイプですので、どうしてもゴジラに関しては心が広くない。達観していない。そういう意味では、ここから書く私の感想は、色眼鏡の産物でしかない。だが、それは事実なだけで言い訳ではないことを強く言いたい。以上、冷静なまえがきとさせていただきます。但し、ネタバレは全開ですので、未見の方は見てからご覧下さい。

 基本、ゴジラ映画はゴジラが「公開当時の現在」を襲う作品です。しかし今回、史上初でしょうね。ゴジラが違う時代に上陸するんです。戦後すぐ、そういう時系列という意味でもマイナスワンなのでしょうね。シン・ゴジラは現実VS虚構なんてフレーズもありましたが、虚構(あるいは史実?)VS虚構なんですね。そりゃそうですよね。シン・ゴジラの後を走るのに、今の日本にゴジラを上陸させたら、それでなくても比較されるのは必定なのに、大変なことに…それこそマイナスからのスタート…だったら、自分のフィールドに引きずり込むしかない…そりゃ監督考えるよね。呪術廻戦なら領域展開『昭和初期』、ゼロ距離から「永遠の0(山崎貴監督作品)」炸裂ですわ。冒頭から、安定の特攻隊映像ですよ。何か違う映画見に来たんかと思ってしまいましたよ。

 これは、あくまでも個人的な事情ですけど、実は私、特攻隊の生き残りの孫なんです。私が分別が付く年頃になってから、特攻隊だった兵が生還するということの現実を聞き、後年、靖国で会おうと誓った戦友との約束を果たすべく靖国神社へ参拝に行くのに同行した際には、詫びの言葉を述べる祖父の姿に心動かされた…そんな私がこの映画の冒頭を見てしまうと、色々と思うところがあり過ぎるんですよ。そして芸達者な俳優とこなれたCGとセットとロケ地で完璧に大戦末期を具現化するのは、流石に領域展開・・・じゃなかった「永遠の0」の監督ですね(明らかに色々とキレイ過ぎるけど)。で、どんな事情はあれど、特攻から逃げた敷島が、その責任を問われる間もなく突如現れるゴジラ。惜しげも無く現れたそれは未だ、成長前ではあるけれども、絶対的な破壊者たる威容は十分なそれは…とても生物的だった。動きも素早く、まさに実在の生物かと思わせる素晴らしいCGだった。そして、さらにその脅威からも逃げてしまう敷島。そりゃ、帰還後にあんな妄執に囚われる訳ですよ。浜辺美波に生きて欲しいと肩を抱かれても立ち直れない訳ですよ(てか立ち直れよ!)。

 少し先走ってしまいましたが、ここからしばらくは人間ドラマが続きます。もう怪獣映画を見ている感覚が薄れます。映像美とキャストの分かりやすい演技力の高さが凄くて。ゴジラさえ出て来なきゃ、単なる日本の再興物語になりそうな勢い。でも、ビキニ環礁のアレを経て、巨大化してやって来ちゃう訳ですよ。漁師達が伝承していたゴジラ、ではなく恐怖の大怪獣ゴジラが。米軍の艦も一蹴し、日本の船舶も粉砕してやって来ちゃう訳ですよ。敷島達も接触する中、惜しげも無くその脅威を見せつけながら…。

 ところで、敷島って帰還後の闇市みたいなところで、典子なる女性に関わってしまい、家に転がり込まれてしまうんですが…そんな訳あり(自分の子じゃない子供を育てようとしている)女、早く追い出せよとか思っちゃったりもするんですけど(←ひどい人間の考え方)、勿論それは敷島という人の優しさの現れであり、出会いのきっかけになった孤児を守ろうとしていたことで典子が見込んだだとか、一応バックボーンはあるんですけど・・・浜辺美波だと、別のことを考えちゃうんで、ストーリーに身を委ねられないのは私だけ?浜辺美波だったら追い出せないかなぁ…とか考えちゃうんですよ。それと、もっと言えば、「シン・仮面ライダー」の緑川ルリ子で骨抜きにされた我々としては、今回、あれほど「シン・ゴジラ」から離れようと監督がしていたのに、浜辺美波で台無しなんですよ(※浜辺美波に罪はありません)。特撮マニアの脳内では浜辺美波→シン・仮面ライダーシン・ゴジラという順で脳内電流がシナプスを次々と伝導しちゃって、ついつい比較しちゃうんですよ。そんな中、自立しようとした典子が銀座で就職したとかで、仕事帰りの敷島が家の玄関をくぐったら制服で鎮座していたりする訳ですよ浜辺美波が。敷島は十分な生活費は渡してある筈だとか何とか言ってましたが、そうじゃないだろう。ここは一つ、チャンカワイばりに舞台袖(どこやねん)にハケて『惚れてまうやろー!!』をカマして欲しかったですね。全く。ゴジラが上陸したから良いものの、うかうかしてると銀座でガンガン男が寄って来てエラいことになるぞ敷島。邪念ばかり浮かんで全然ストーリーに集中できん!!!(←それはお前のせいだ!)

 閑話休題。で、ついに銀座に大登場ですよゴジラ。あのBGMも掛かって来る訳ですが、如何せん、これまでゴジラを出し過ぎたせいで全然インパクトが無い。何だか有名なこのBGMの使い方がダメダメ。個人的にはちょっと怒りすら覚えたほど。確かに、映像は素晴らしい。ただ、やはりゴジラの動きが軽い。生物的な動きをしている。脅威は感じるし、巨大感も十分。でもCGだよねと思ってしまうところが強過ぎ。もう一歩、神々しい何か、言葉に出来ない何かが足りない。そして、おそらく初代ゴジラへのレスペクトなんだろうけれど、列車をゴジラが鷲掴みにして蹂躙するシーン。トム=クルーズばりのアクションを浜辺美波がキメてくれるんだけど、これもレスペクトなりオマージュなり、それで終わってると思うんです。残念ながら浜辺美波だから見ていられるというシーンでしかない。それと、大いにラストの大オチを先に書いてしまいますけど、ここで『よく生きていたな』って感情を抱かせてしまうと、最後のアレが薄れませんか?別にミッション・インポッシブルのオマージュなんてやらなくて良かったんじゃあ・・・そして、何とかその大ピンチを逃れる典子。だがゴジラは執拗に追って来る(別に典子を追う訳ではないんだが)。逃げ惑う人々を追ってノシノシ歩いて来る。人の波に飲まれ転倒してしまう典子、もうゴジラに踏み潰されんとしたその時、颯爽と現れる敷島。諦めちゃ駄目だと典子を起こし、生きろと言われた女性に逆に生きろと諭す敷島…って、ちょっと待てよ、と。あんなパニックの中の銀座で、ゴジラも大暴れする中、典子が見つけられるなんて都合が良過ぎないかい?そりゃ、脚本の妙として、生きろと諭そうとして来た女性を逆に死の淵から救う、な〜んてドラマチックな話にはしたいよね。でも、そりゃ無理だろ・・・と、言いたいところですが、そこでも邪な心が純粋な視聴を妨げるのです。あんな混乱の中、愛しの君が見つかるかよ!と思う前に、掃き溜めに鶴、みたいな感じで、浜辺美波なら見つかるかな?いや、見つけられる!今まで、逃げに逃げたあの男でも!とか思ってしまうのよ。んでもって、あの爆風の中、敷島を物陰に突き飛ばして救い、自らは吹き飛んでしまう典子。何やってんだこのスカポンタヌキ!そこは浜辺美波を守ってお前が吹き飛べよ!とか思ってしまうのよ。ま、漸く、浜辺美波の死?をもって敷島が覚醒?するんだけども…ええ加減にしろよ、この腰抜けが!(←などとストーリーを純粋に楽しめないのよ浜辺美波では以下略)

 私の邪な意見はさておき、ここらで見逃せないゴジラの描写もある。所謂放射能火炎(昔の呼称)を吐く演出である。なんのオマージュだか知らんけど(本当は知ってるけど)、あの背びれがメカっぽく順序立てて突出して行く映像、アレ、要る?今まで生物っぽかったのに急に機械的?な感じで個人的にはハマらんかったです。でも、そのぐらいは監督特権で許せます。しかし、その後の放射能火炎?がプラズマ化して着弾してキノコ雲が上がる演出、アレはどうなの?確かに、水爆が産み出した大怪獣はゴジラの定義の一つだけど、あれは隠喩だから良いのであって、まるで銀座の地に原爆が落とされたかの様な演出は直接的で支持できなかった。人によっては嫌悪感も抱くのではないか。しかも、ご丁寧に黒い雨まで降って来る。敷島も、その雨に打たれていたけど、全員その後、放射性障害で苦しむのか?あの演出があることで、否応にもゴジラ=米英の代替イメージが定着し、叩きのめされた日本人がもう一度立ち上がるために、ゴジラにその仇を返す?みたいな話に捉えられてしまい、ゴジラを山車に使うなよ!と思ってしまうんですね。官(国)に強制された誤った(?)戦い方で戦争には負けたが、今度は民(人々)が力を合わせて…的なストーリーにしたいんでしょ?でも、それは相手が違うでしょ。そんなことにゴジラを使うなよ!ゴジラは日本のものであって欲しいんだよ。米英の化身じゃ駄目なんだよ!と思ってしまうんですね。それと、『ホニャララの代わりに別の何かを』視点では、もう一つ気になることが。いや、私が怒っているのは、そこなのかも知れない。一貫して描かれる敷島の悔恨の話である。敷島は特攻出撃したが(家族との約束があったとか何とかそんなサイドストーリーは無視)、尻尾を巻いて帰投して1人助かった男である。さらに、その後、ゴジラ(水爆実験前)の出現の際に戦闘機の機関砲の引き金を引けずに、一人を除いて整備兵部隊を全滅に至らせた男である(小説を読めばこんな怪物に機関砲を打ったって倒せっこないと思ったとか何とか書いてあるが黙殺)。で、その後、その部隊で死んだ兵への想いに苛まれて、浜辺美波との生活も受け入れ切れず、生きてても…みたいなことを訴えまくるんやけども、それで浜辺美波の死?をもって腹を括り、総てを乗り越えるため(否、浜辺美波の仇討ちか?)ゴジラを倒す流れなんだけど…これも、仇を返す対象が違うよね感が凄いのよ。さ・ら・に、ココが私の怒っているポイントなんだけど、敷島には、同時期に特攻で果てた戦友が居た筈であるが、その英霊達に、申し訳ないと想う部分が微塵も描かれてないんだよ!そこは整備兵にすり替えちゃ駄目なところだろ!特攻隊の生き残りは、死ぬまでその想いを背負うんだよ!郷里に帰っても、一生、色々言われるんだよ!そこを誤魔化してはアカンよ。しかも、最後、バレバレだけど敷島はゴジラに特攻はしない。その時に、前述の英霊達への想いが少しでも描かれないのか、と。

 ラスト、これも前フリが脂っこくてバレバレだったけど、まさかの大団円的な大オチで実は浜辺美波生きてますエンド…いやね、そりゃ救いは欲しいけど(浜辺美波だし…あ、否、また邪念が)、どう考えてもみんな被爆してて長生き出来そうにないとか考えちゃうんで、素直に喜べないのよ。

 で、ところで私の特撮マニア的最大の激怒ポイントは、ワダツミ作戦を強行すべく、艦長が号令を掛けたシーン。あそこは宇宙大戦争的なあのBGMを掛け、それでも作戦が上手く運ばない絶望感を後のインパクトとして欲しかった。あのゴジラが進撃する時に使われることの多いBGMでは、もう既に作戦が成功しないであろうゴジラの脅威が際立ってしまう。とにかく、あのシーンで首を傾げてしまった。キムタク版の宇宙戦艦ヤマトで変なアナライザーオマージュを見た時の様に。

 

 ここまで読んで下さった方、申し訳ありません。これは評論ではなく感想です。感情的にならざるを得なかった個人的事情があったのだとお許し下さい。

追伸∶女優・浜辺美波を絶賛しておりますが、決して私のタイプという訳ではありませんのでそのつもりで。近年の特撮ならジュウオウタイガーだとずっと言い続けております。※20年以上前ならデカピンクです。あ、キラメイピンクも高く評価しておりますが…。