架空空間に引きずり込むブログ

ただ一人の大切な友のために書くブログです。離れていてもソウルは一つ!

仮面ライダーセイバーのVシネクストを見て

仮面ライダーセイバーのVシネクスト、深罪の三重奏(トリオ)、見てしまいました…。キャッチコピーは「正義は罪なのか。これは、剣士たちに課された深き罪の物語。」です。何だか重そうな感じですね。仮面ライダーセイバーの軽やかな主題歌では背負えない程のダークな感じですね。いやー、何と言いますか、怖いもの見たさって言うんですかね。見ちゃったんですよ。わざわざドンブラザーズ全盛期の今。え?何故今更?それが、先日、「テン・ゴーカイジャー」を見ちゃったんですよ。ブルーレイが発売になったのでVシネクスト、改めて見ちゃったんですよ。それがもう、豪快にサイコーでして、個人的に、少しこの感動を冷まさないと、今のニチアサに戻れないのではと思い、このセイバーのVシネクストに手を出したんですね。あ、ゴーカイジャーのVシネクストについては、また別の記事で書くとして・・・。

 最初に、ネタバレは無しで行きたいと思うのですが(予告編で出てる内容は語ります)、とにかく全編を漂う鬱々とした感じに気が滅入ります。ほぼ救いは無いと言って良いでしょう。脚本家が仕掛ける、まさかの展開と言いますか、いわゆる「オチ」の部分も、あまりパンチが効いてない。そりゃ、そうでしょうねぇという感じです。エスパーダの最強フォーム?も出るのですが、顔見せ程度だし、必殺技もそんなにインパクトが無い。予告編でも出てた倫太郎の父を名乗る人物も掘り下げが少ないので、いわゆる倫太郎との因縁が終わりを告げるシーンも盛り上がらない。そもそも、変身してのバトルに重きが置かれておらず、剣士としての○×とか言われてチャンバラしても、もう「鬼滅の刃」での凄いチャンバラで目が肥えた視聴者には響かないです。で、根幹を成すテーマというのは、要は剣士達が救えなかった命にどう向き合うのか、或いは剣士達が救えなかったことで大切な人を失った人達の遣る瀬無い想いはどこへ持って行ったら良いのか、みたいなテーマを描く訳です。ニチアサでは、どうしても描くのが難しい部分を、間違いなくコアなファンしか見ないであろうVシネクストで、描きたい放題描いたんでしょうね、これ。で、ここからは個人の主義主張なのですが、私なら「剣士達の戦いに巻き込まれて、大切な人を失っても、その剣士を恨みはしない」ということです。彼らは、牙を持たぬ私達に代わり、剣を振るってくれたのでしょう。栄光の仮面ライダー(これはセイバーのことではないですが)は、私達に代わって、化物と呼ばれても、その拳を血に染めて戦い、夕日の向こうに去って行ったものです。しかし、このVシネクストに出て来る人物はそうではないので、全く感情移入出来ないのです。そりゃ、そんな人も居るでしょうから、否定はしませんが…それに対し、逡巡する剣士達にも、最終回を通り越してもなお、そんなに迷うのか!とか思っちゃうんですよね。しかも、まさかのラストバトルが文字通り炎の剣士の不完全燃焼で終わるんですよ。物語の結末は俺が決めるんと違うたんかい!それと、ラストバトルに本来の主題歌が全く似合わない(別に流れる訳ではないのですが、最後くらい流れて、スカッと終わって欲しい)感じで、ラスト、鬱々としたテンションのまま、主要4キャストが歌う本作オリジナルの主題歌が流れてエンディングなんです。この暗い本作の主題歌は、或る意味ではこのVシネクストにピッタリなのですが、それがTV本編の否定に見えてしまうところに、本作の私の評価の低さがあると言えるでしょう。本編で描けなかったことを、今回は描いた、ということに間違い無いとは思うのですが、それがファンが望んだことなのか・・・。ハッピーエンドや、スカッとしたラストが全てではありませんが、この釈然としないエンディングを見ると、結局セイバーの持っていたカラーというのが、こういうことだったのかとも思ってしまうんですね。きっと、単に私の好みでは無かったということなのでしょうけど…。

 最後に一言。剣豪にして文豪、とか言ってたセイバーでしたが、最初から最後まで通して見た時に・・・やっぱ、主人公、剣豪でも文豪でも無かったよね・・・。